白山市議会 2022-12-05 12月05日-01号
2 白山市及び白山市議会において市議会議員を含む公人及び私人に対し、特定の宗教に対する信仰の有無を問うたり、その団体との関係を調査・質問したりしないこと。白山市茶屋1-23-4 加志畑保 外2人総務企画 常任委員会...
2 白山市及び白山市議会において市議会議員を含む公人及び私人に対し、特定の宗教に対する信仰の有無を問うたり、その団体との関係を調査・質問したりしないこと。白山市茶屋1-23-4 加志畑保 外2人総務企画 常任委員会...
信仰心だけじゃありませんが、毎朝行うことにより少し規律のある生活が生まれていると実感しております。 本日、一般質問は3日目、最終日に入ります。
2つ目は、地元から利用客拡大に向けた幾つかの支援策要望書が出されておりますが、特に、山岳信仰の白山三馬場禅定道に関しては、歴史的価値も高く、他県の石徹白の美濃馬場、平泉寺の越前馬場は、山岳信仰の歴史を含めた案内所が整備されています。 禅定道の入り口の一つを担っている一里野温泉に、加賀馬場の整備は観光や登山客の拡大につながると思われます。
もう1点は、もしも合同法要があっても来れない場合に、お盆とか彼岸の日あたりに親族が、いろんな宗教があると思うんですけれども、自らの信仰する宗教家を呼んでこの合葬式墓所でお勤めができるのかどうかについて質問をさせていただきます。 その他の質問については重複するので結構ですので、よろしくお願いします。 次に、移住定住促進事業について伺います。 新年度予算でも、1,180万円余りが計上されております。
大聖寺藩は加賀藩の支藩でございますが、加賀前田家におきましては藩祖の天神信仰から菅原道真を敬い菅原姓を名乗るとともに、家紋には菅原道真ゆかりの梅鉢紋を用いておりました。これにより支藩の大聖寺藩でも梅鉢紋を家紋としてまいりました。議員御指摘のとおり、加賀藩が剣梅鉢である一方で、大聖寺藩は花弁中心に配された熟部の剣先が丸い棒梅鉢を使用しております。
この土地に根差していた文化、信仰、産業、生活など、全ての遺構や痕跡は未来永劫失われることになります。輪島市として、この地区に対し実施した調査の内容と結果、それらに基づく対応についてお答えください。 2つ目の質問です。 新規就農者助成事業について、新規就農者にとって大きな支えとなってきた農業次世代人材投資事業(旧青年就農給付金)の改悪の動きがとまりません。
そういうことを思うと、我々の先祖が住んでおられたこの地に大変豊かな生活があったんだろうな、そういう豊かな生活の中からこういう信仰心が生まれて、信仰が強い中からこういう神様を祭られたんだろうなというふうに私も感慨深げに思いました。 そのとき、説明員の方から、この特別展には私ども地元の氏子の方々もそうでありますけれども、県外各地、海外の方も多数見学に来られておるというふうにおっしゃっておりました。
まさに白山信仰のあかしかと思われます。大聖寺藩の中心部は、江戸時代の町割りが300年以上たった今もそのまま現存しております。 次に、大聖寺藩主の菩提寺であります実性院でありますが、初代利治公から14代利鬯公までの墓が1カ所に集められており、これは、大名では全国で2カ所しかないそうであります。現在の実性院では、16代目までの墓所が設けられているようであります。
例えば、末松廃寺跡と白山信仰を取り上げれば白山市との連携が考えられますし、北国街道を取り上げればその範囲は京都から長野県まで超広域的な視点を持つ必要があると思います。 それで、3点目の質問をいたします。 12月議会では、末松廃寺跡の再整備に取り組まれるとお答えをいただきました。
その1つ目が、白山信仰であります。泰澄大師の開山以来、修験道の発展とともに加賀禅定道の拠点である白山本宮は隆盛をきわめ、多数の兵力と広大な神領を持つに至ります。平安時代末期の神領を白山市内に限って申し上げますと、味知郷、河内荘それから横江荘の一部、北安田、宮丸、笠間東、朝屋、比楽があり、柏野、宮保は鎌倉時代末期まで世襲で神主を務められた上道氏の一族が土着し、開墾、神領化をしておりました。
先般、11月1日に国史跡末松廃寺跡から弥勒菩薩信仰に仕える天女とみられる女子像が刻まれた瓦塔の一部が見つかったと発表がありました。
あわせて、22日に松任学習センターで実施をいたしました白山シンポジウムでは、國學院大学の椙山林継名誉教授をお招きし、「水の恵みと白山信仰」と題し御講演をいただいたほか、パネルディスカッションでは、私を含め環白山地域の各首長がパネリストとなり、白山を取り巻く自治体の連携について今後の展望を語るなど、白山の恩恵に感謝をし、さらなる100年に思いをはせる、非常に意義のある催しとなりました。
地域の信仰が厚い白山は、717年、養老元年に泰澄大師によって開山されて、ことし1300年を迎え、そして粟津温泉は養老2年、718年に開湯以来、来年で1300年の節目を迎えようとしております。 粟津温泉は、市民の湯治場として地域に愛されてはいますが、宿泊客は平成3年のピーク時の61万人から下降し、今では年間15万人前後で、旅館組合数も町内の事業所も閉業が続いております。
または自然景観、また白山信仰という精神文化、本当に小松にはさまざまな魅力があるというふうに思っております。この小松の風土に溶け込んでいたそのような伝統の心であり精神文化、歴史文化を一つにやはりストーリーとしてつなげていく、またプログラムとして組み立てていくことが非常に大事だというふうに思っております。 また、やはりそれを、いいものがあっても発信力というのが問題だと思っております。
4点目、人里近くの巨樹や巨樹林の多くは、固有の呼称や伝承を持ち、あるいは、鎮守の森など信仰対象になるなど、古くから地域の人々とのかかわりを持ちながら保存されてきました。 巨樹や並木、公園などの緑は、緑陰のほか、まちに安らぎや潤いを与えてくれます。しかし一方で、最近の都市部の住宅地などでは、落ち葉や毛虫など害虫の発生、日当たり不良などのため、所有者や管理者への苦情も多くなっているのも現実です。
先日、同じく白山信仰のお寺でことし開創1300年を迎える那谷寺のほうを訪れる機会がありました。観光バスが乗りつけて、大変多くの観光客でにぎわっておりました。白山市だけでなく、白山にゆかりの地域とともに盛り上がる、そういう1年になればなと思いますし、このポロシャツ議会がその一助になればというふうに思います。 それでは、通告に従いまして質問したいと思います。 まず、共生のまちづくり条例についてです。
歌舞伎や能の幽玄の世界、九谷焼やお花、茶の湯、和菓子、着物など和のもてなしと様式美、白山信仰や地域に根づいた信仰、日本人の心に息づく精神文化など、これらは外国人にとってやはり大きな魅力となっているというふうに感じております。
政教分離の鉄則があり、心して取り組まなければなりませんが、伊勢神宮や熊野古道など、地元自治体が郷土の誇りとし、文化財として守り抜いてきた信仰事例は国内に数多く存在しています。白山信仰もまた、白山神社の総元締めとして白山比め神社があり、開山から1300年という長い歴史を刻んだこと、広い加賀平野の守り神として連綿と受け継がれた先人の魂を知り、記憶にとどめ置くことは、目下の急務ではないかと考えます。
私の私案の一端を申し上げるならば、白山市は全国でも指折りの山岳信仰である白山信仰の時代から全国3,000余社の白山神社の総本社であり、来年が創基から1,300年に当たる白山比め神社の歴史、全国でも稀有な一向一揆の最後のとりでとなった鳥越の各種遺構などが鶴来地区から白山ろくにかけて点在しております。
また、安宅、二堂山のいただきに御鎮座されている難関突破の霊神として多くの信仰を受け、「縁ありて社頭に詣づる人、誠を込めて神前に祈りを捧げば、その祈りは必ずや成就されん」と言い伝えられております。 また、安宅には老舗料亭長沖というお店があります。その長沖には、客室金剛、弁慶、土蔵の3棟が昨年、国登録有形文化財に指定をされております。